コーヒー豆紀行
2017年コスタリカコーヒー豆紀行
2016年コスタリカコーヒー豆紀行
2013年 エチオピアコーヒー豆紀行
エチオピアへの旅はこちらをご覧ください
↓
//www.ko-hi-koubou.com/blog/?p=13521
2010年 エルサルバドルコーヒー紀行
その1
さて、最後の訪問国になりました。
エルサルバドルです。
訪れたのは、エルカルメン農園。
ぴっかぴかの太陽が迎えてくれました。
今回の旅で一番の晴れです。
渋ーーいおじさんと♪
コーヒーの実を積むピッカーさん達です。
実にカラフル!
美味しそう♪
オーナーのクリスティアーニさんです。イケメン!
お昼をご馳走になりました。
最後に。
これで報告は終了です。
一粒のコーヒー豆に、たくさんの方達が関わっていることがよく分かりました。
帰ってくるとコーヒー豆が愛おしくさえ思います(笑い)
さて、焙煎開始です。
皆様のお越しをお待ちしています。
その2
2010年 コスタリカコーヒー豆紀行
その1
パナマからコスタリカへ陸路で国境越えです。
初めてのことで緊張します。
国境の係官が芝生の上に並べられた荷物を開けてチェックしています。
芝生の上なんですよ!雨が降ったらどうするんだろう?なんて余計なことですが。。
無事国境を越えることが出来ました。
今回の旅の間中、スペイン語から英語への翻訳と、
旅のお世話をしてくださった、ゴンザレス(ゴンサロ)・エルナンデスの農園
「ディベルサ」農園に到着です。
看板に「ハルディン・バリエディス」と書いてあります。
意味は「品種の園」だそうです。
この農園には200種類以上のコーヒーの品種が栽培されているそうです。
本人曰く「世界一!」だそうです。
この写真は、同じ親から取った豆を植えて出来た木の葉っぱの写真です。
同じ親でもこれだけ違う育ち方をする品種です。ビックリ。
コーヒー豆の大きさも品種によって違うという例です。
手前の豆の奥の豆では大きさが全く違います。
コーヒーの花が咲いて実がなるまでに7-8ヶ月掛かります。
ですので、この写真に実は7ヶ月前に咲いた花の結果です。
同じ枝に現在と未来が同居している珍しい写真です。
この木はなんでしょう?厳重に木の柵で覆ってあります。
この木は現在私たちが飲んでいるアラビカ種の母親です。
700万年前にこの「ユージノイレス」とカネフォラ種が交配をして、
アラビカ種が産まれたそうです。
アダムとイブで言えばイブになりますね。
これを実際に見ることが出来ただけで、今回の旅行に参加した甲斐があった
と思うくらい感激しました。
その2
タラス地区の農園に着きました。
ここの地区の農家さん達が「クレストネス プロジェクト」と組んで、
クレストネスという名の豆を生産しています。
昨年販売をしました。覚えていますか?
今回はアラスカ農園を見学させていただきました。
見事な実の成りですね。
昔々氷河が運んできた石の多い土壌です。
クレストネスは石という意味だったと記憶しています。間違っていたらごめんなさい。
水はけが良くコーヒーの栽培に適しているとのことでした。
寒暖の差も大きく、昼は30℃、朝晩は12-13℃だそうです。
この記述はメモを見ながら書いているのですが、
字が読めない(笑い)為、想像が入っています。悪しからず!
精製所です。
屋根がかけてあります。
なんとも美味しそう♪
その3
コスタリカ-ラ・ピラ農園を訪れました。
この農園のコーヒー豆は当店でもお世話になっています。
標高3000Mの峠を越え、やっとの思いでたどり着きました(笑い)
このコーヒー農園は1600メートル付近にあります。
La Pira をかたどったレリーフです。見とれてしまった。
きれいに色付いたコーヒーチェリーです。
花が満開でした。ジャスミンの香りがします。
棚干しも使われていて、さすがやることはしっかりやっているなという感想。
現在と未来(笑い)
お土産を渡すと、「アミーゴ(ともだち)」と言って笑ってくれました(笑い)
この後、首都サンホセへ移動。
極上のホテルなのですが、滞在時間がなんと6時間。。。
何とも贅沢な!!
2010年 パナマコーヒー豆紀行
その1
まずは、成田からアトランタ経由でパナマに到着しました。
その2
パナマ最初の訪問地は
コトワ農園です。
空港にもカフェを構えています。
農園主のリカルド・コイナー氏です。
後ろに見えるのが、水の使用量を劇的に減らしたという
パルピングマシンです。
コーヒーチェリーから果肉をはがす機械なのですが、
水を節約することで、汚水の減量も図れるとのこと。
また、ここできれいにしておくと、発酵過程が短時間で済むので
二酸化炭素発生量も削減出来るということでした。
パナマの政府からエコロジー農家として表彰されたそうです。。
すごい!
従業員の方と♪
渋い♪
コトワ農園のコーヒーをカッピングしました。
美味しい!
その3
ここは世界中から注目されている農園、パナマ-エスメラルダです。
エチオピアの町の名が付いた「ゲイシャ種」を栽培している農園です。
ゲイシャ種は根が張りにくい品種のため、風邪に弱く、木のまわりを
風よけの網で保護していました。
木の高さが2メートルにもなるため、途中でカットしたりしている
とても手間の掛かる品種だそうです。
わざと雑草を生やしているとのことでした。
きれいなチェリーですね。
コーヒー豆です。美味しそう(笑い)
オーナーの息子さん、ダニエル・ピーターソンさん
その4
パナマ-ベルリナ農園を訪問しました。
運び込まれたチェリー
カーサルイス社のマリア・ルイースさんです。
先日販売をした、「ベルリナ-グランレゼルバ」を産出した農園です。
彼女はコーヒー農園を一代でここまでにした凄い経営者です。
おもしろいカッピングをしました。
物々しい格好をしていますね。
その5
パナマ-ハートマン農園を訪れました。
いろいろな品種を多様な精製方法で産出している農園です。
早速カッピングをさせてもらいました。
カルメン農園のカルロスさんです。
標高違いのロットのカッピングをさせてもらいました。
この後、カルロスさんのミルを見せていただきました。
夕食はファミリーも参加して楽しい夕食をいただきました。(幸せでした♪)
最近パナマはゲイシャで有名になりましたが、
個人経営の農家さんの取り組みがされているという感想を持ちました。
何しろ環境がいい!うらやましい♪
2008年 ブラジルコーヒー豆紀行
その1
2008年7月5日土曜日から14日月曜日まで、
ブラジルへ行ってきました。
コーヒーを仕事にしている以上、ブラジルは必ず訪れるべきと
心に誓っていた店主は、迷うことなく(?)参加を決断しました。
何しろ遠い!!そして休業期間が長い、そして費用が掛かる!
1月にはインドネシアにいったばかり・・・・・
「いってくれば!」の一言を言ってくれた家内には頭が上がりません。(本当~?)
さて冗談はここまでにして。(冗談かよ!)
今回のミッションは、ブラジルの産地巡りです。
日本とは比べものにならないほど大きなブラジルでは
いったいどんな人たちがどうやってコーヒーを栽培しているのか?
世界一のコーヒー生産国ブラジルを見てくることです。
興味津々!!遠いなんて、好きで行くんですから苦になりません!!
さて、今回はアメリカン航空にお世話になりました。
パワフルなキャビンアテンダントがお世話をしてくれました。
シートベルト着用のサインが出ると、情け容赦なく起こしてくれます。
しかたないので毛布の上からシートベルトをしました。
機内は寒く、辺りじゅうの毛布を集め、蓑虫のように
くるまって時間を過ごしました。
機内食はお世辞にも美味しいとは言えず、残念!!
エコノミー症候群が怖いので、水分補給はしっかりし
機内を歩きました。
成田から11時間45分かかり、アメリカ-ダラス空港へ到着です。
そこから4時間後、今度は10時間30分でブラジル-サンパウロ空港へ到着しました。
サンパウロでは市内を少し廻り、教会へ連れて行ってもらいました。大きな教会です。
歩き回る前に一言「カメラはぶら下げて歩くな、一人で歩くな、
人前でお金を数えるな」と注意を受けました。
東洋人街へも足を伸ばし、たこ焼きを戴きました。
たこはどこにも無かったけれど・・・(笑い)
チーズが入っていました。
街ではやっているコーヒー店へも行ってみました。
薬の臭いがしました。
これを好む人たちも多いそうです。
アラブの人とかはこれでないと駄目だそうです。
その後食堂へ移動。
この食堂は好きなものを自分で皿に載せ、あとで重さを量って
値段が決まります。日系人が考えたシステムだそうです。
味付けはシンプルですが、さすが肉食の国、肉のおいしさは
半端じゃありませんでした。
こんなところにも日本のブランドが・・・(笑い)
またまたそこから国内線に乗り換え、ウベランジアへ到着、
そして陸路で、パトロシーニョへ到着です。
とってもきれいな飛行機でした。
CAも綺麗でしたが、愛想が悪い!
成田空港を出発して、実に37時間掛かった計算です。
そこから陸路で、パトロシーニュの街へ到着!!
時間があったので丘の上まで行ってみることに。
キリスト像がありました。ブラジルで有名なのは
リオデジャネイロのものです。
パトロシーニュの街です。
コーヒー関連の従事者の多い街です。
商社の支部も多いそうです。
ホテルにインターネット設備があるのも、さすがと思いました。
夜は早速パーティーです。
写真は農園主のお子さんです。
お祭りだそうで、自分で化粧をしていました。
やっとベッドで寝ることが出来ます。
その2
ブラジル到着後初めての訪問は、
いつもお世話になっている、「セラードコーヒー」さんです。
いろいろな農園からのサンプル豆が置かれています。
スクリーニングといって、豆の大きさを分類し、
ばらつき度を出しています。
欠け豆、虫食い豆などをはじき出し、
品質を検査しています。
その後CACCER(カセール)に移動し、プレゼンテーションを
受けました。
80点以上のものがスペシャルティーとして
認められるという表です。わかりやすいですね。
専務のRizentalさん
私の髪が逆立っているのは寝癖?
それとも扇風機のせい?
そして、最初の農園訪問です。
マカウバデシーマ農園です。
看板の★4つは、カセールの評価で最高クラスの
品質の農園の証です。
農園主のグラウシオ・デ・カストロさんです。
やっぱり髪が逆立っていますね(笑い)
農園の管理用看板です。
苗を植えた時期、木の間隔、農薬の投入時期が
記入されています。
赤く熟したチェリーです。
収穫間近です。
お父さんのアントニオ・デ・カストロさんです。
コーヒーチェリーの収穫機械です。
初めて見ました。
ブラジルは農園があまりにも広大で、
人の手では収穫は不可能です。
取り切れなかった分を人が収穫します。
一台3000万円位するそうです。
これがグラウシオこだわりの棚干しのパティオです。
手間の掛かるこの方法を実践しているのは
うまさを追求する彼の考え方です。
天日乾燥は、お日様の熱と地面の熱で暖めて
乾燥させます。つまり熱による乾燥です。
それに対して、棚干し乾燥は、風による乾燥です。
そして乾燥するときに蒸気が気化しますので
熱を奪います。触るとヒヤッとします。
この違いは大きいと彼は言っていました。
お昼はバーベキューをごちそうになりました。
どうですこのお肉!!美味しかった!!!!
日本から持って行った、珈琲香坊謹製の手ぬぐいを
渡してきました。奥様も綺麗でした。
目をつむってしまった写真しかなかった。(変な顔)
その3
セラードのコーヒーの精製、輸出部門を担っている
エクスポカセールへ行ってきました。
最新設備があり、大勢の人が働いていました。
どんだけー!と言いたくなるほどのコーヒーの袋の山です。
コーヒー豆の袋を繕っていました。
そして、一路フェレーロさんの農園へ!
シーマ農園同様星4つです。
農園技師のPiccinさんのセミナーを受けました。
農園には必ず農業技師がいます。
常駐のところもあれば、委託のところもあるそうです。
農薬等の購入には農業技師の処方箋が必要だそうです。
彼は、ダテーラ農園などの責任者をやっていたこともあるそうです。
今は独立をして自分の会社を持っています。
いかにして少ない農薬で美味しいものを作るかに
情熱を注いでいます。
こちらも高品質の豆は棚干しです。
余裕があるときは、他の豆も棚干しをして
品質の追求をしているとのことでした。
美味しそうなチェリーです!
赤いトラクター♪(古い)
どうですこの薪の量!
古いコーヒーの木を切って
乾燥機の燃料に使っていました。
これは、エチオピアのイエローティピカです。
これは貴重な写真ですよ。
試験的に栽培をしているそうです。
カンピーナス研究所と一緒に数十種類の品種を
育てていました。
ジャマイカのティピカ(ブルーマウンテン)は
この畑には合わないそうです。
彼が農園主のフェレーロさんです。
お酒が大好きです。
美味しそう!!!
ランチは当然、バーベキュー!!
うまい!!!!!!!!!!!!!
これはレモンです。見えないでしょ?
日本から持って行ったオリジナルの手ぬぐいを
渡してきました。
ちなみに今回これを作ってくれたのは友人の
「南風中心」さんです。
本日はここまで。まだまだ続く!!
その4
その5
スルデミナス地域のサント・アントニオ・ド・アンパロに到着。
SANCOFFEEを訪問して、カッピングをしました。
サンコーヒーは、この地の周辺の生産者が出資して作った会社です。
精選や、輸出などを担当しています
カッピング準備
美味しそう!
珍しくまじめな顔?
収穫後まだ間もないため、本来の味が出ていないと
スタッフが心配していましたが。
好印象の豆が少なからずありました。
しばらく寝かせたあとどう変化するか、
飲んでみたいものです。
サンパウロ農園に移動。
広大な敷地です。
酪農も併設された農園です。
コーヒーの花。
花が咲いて9ヶ月後に収穫です。
低い木は手で摘みます。大変な作業です。
私たちのためにランチパーティーを催してくれました。
そうそうたるメンバーの暖かいもてなしを受けました。
サンパウロ農園のオーナーです。
自家用ジェットでわざわざ来てくれました。
サンアントニオ市の市長さんです。
従業員さんです。イケメンです。
背が高い!!!!
カルモデミナスへ移動しました。
5時間の車の旅でした。
ホテルに行く前に
CARMOCOFFEES社を訪問しました。
同社は、
セルトン・グループのコーヒーを中心に、
カルモ・デ・ミナス地区のコーヒーの輸出を
行っている会社です。
ここでもカッピングをしました。
今回は13種類カップです。
1種類を5回カップしますので。
13×5=65カップです。
集中力のいる作業ですが、これが楽しい!!
その6
ノッサ・セニョーラ・ド(N.S.)カルモ農園です。
とても険しい道をひたすら上ったところにあります。
広大な敷地の中にあります。
等高線上に植えられたコーヒーの木は
お茶畑を連想します。
とてもブラジルとは思えない風景でした。
コーヒーの花です。
これから熟していく実です。
赤く熟したコーヒーの実です。
黄色く熟す、アマレロ(黄色)の実です。
収穫したコーヒーの実です。
ここの農園は機械収穫ではなく、
手積みです。大変な重労働です。
振るって葉っぱを飛ばします。
アマレロのコーヒーの実を剥いたところです。
パティオで乾燥させます。
コンクリートの上で乾燥させますが、
風通しがいいので熱を持たないと言っていました。
豆を拡販する機械です。
手動です。
農園の看板です。
「私たちは安全に対して常に気にしています」と書かれていました。
食の安全はこうして守られていく。
ノッサ・セニョーラ・ド(N.S.)カルモ農園
マリア・ルシア・ペレイラ と書いてあります。
彼女は農園主です。
メタボ兄弟!(笑い)
蟻塚です。大きいでしょ!!
いっぱいありました。
農園主のご自宅です。
一族はこの地で長く農業に携わっていて。
昔の写真や記念品が展示されていました。
年代物の電話機が現役で働いていました。
掛けることは出来なくて、受話だけでした。
ひいばあちゃんの、ナサレ・ディアス・ペレイラさんです。
わざわざカルモデミナスから来てくれました。
農園主の
フランシスコ・イシドロ・ペレイラさんと
マリア・ルシア・ペレイラさんのご夫婦です。
ランチをごちそうになりました。
美味しかった!!!!!!
今日はここまで。これからサンパウロに移動です。
その7-最終
いよいよ最終日です。
ブラジルのガソリンスタンドでは、通常のガソリンと
アルコール燃料が売られています。
1レアルが76円でしたので、ガソリンは1リッター
182円、アルコール燃料は91円です。
実は最近ではなく、1970年代から売られ始めているそうです。
エンジンも両方使えるようになっていて、混ぜても大丈夫だそうです。
アルコール燃料はガソリンに比べて3割燃費が悪いそうです。
と言うことは、1リッター130円くらいということですね。
サンパウロのスーパーです。
とても活気がありました。
アイスクリームだけを売っているマクドナルドがありました。
ブラジル名物のシェラスコ(現地ではシェラスハ)料理店です。
目の前で切り分けてくれます。
食べ放題です。いろんな部位が出てきます。
サンパウロで最近出来たカフェです。
一番人気だそうです。
とてもおしゃれです。
コーヒー生産国から消費国へと変わっていく
ブラジルの一面を見ました。
分かりにくいですが、床が切り取られていて、
下から照明が当たっています。
コーヒーの品種が書かれています。
「ブルボン アマレロ」・・・・・
これで報告を終わります。
楽しい旅でした!
コーヒーに携わっている方達、まだ行ってないなら行ってごらん
現場はいいぞーー(笑い)
2008年 インドネシアコーヒー豆紀行
インドネシアーマンデリンの旅
2008年1月26日から30日まで、インドネシアのスマトラ島に
マンデリンの産地を訪ねてきました。
その1
インドネシアに行ってきました。
2008年1月26日土曜日成田空港から出発です。
今回の出張の目的は、産地見学です。
インドネシアのスマトラ島で出来る「マンデリン」の産地を訪ねます。
世界でも特異な香味のマンデリンがどうやって出来ているのか?
これが最大の興味です。
日程を見てみるとこれがなんとハードです。
見ているだけでハードですから、実際はもっとハードなことが
予想されます。
期間は1月26日土曜日から30日水曜日ですが、最終日は朝7:20に
成田空港に到着ですから、実質4日間です。それも最終日は飛行機泊です。
これをどう楽しみかに、今回の出張の醍醐味があります。(わくわく)
インドネシアは日本との時差がマイナス2時間です。
日本が朝の10時の時、現地は朝の8時です。
2年前に行ったガテマラ、コスタリカは時差が8時間あったのですが、
今回は時差ぼけの心配はありません。助かりました。
現地通貨はルピアです。100ルピアが1円くらいです。
10000ルピアが100円ですね。
お札の写真を撮ってくるのを忘れましたが、やたらと「0」が多く
いちいち頭の中で換算していました。「0」を2つ取ると日本円です。
チップの習慣はありませんが、ホテル等で特別の用事を頼んだときなどには
3000~5000ルピア(30円~50円)を渡します。
成田空港から8時間でジャカルタに到着です。
今回はJALを利用しました。搭乗員にインドネシア系の方が多く、乗客も現地の方を
多く見かけました。搭乗中は半分寝て、半分はぼーっとしていました。
座席の前にテレビ画面があり、映画を見ることが出来ましたので退屈はしませんでした。
ボーンアルティメイタム、燃えよドラゴン、ガンダム、フラガールなどを片っ端から見ました。
フラガールは思わずほろっと来てしまいました。
ジャカルタは曇っていました。雷が遠くで鳴っています。
とても蒸し暑く、じとーーーと汗が出てきます。
入国審査の前に短期ビザを10ドル(何故かドル)で購入します。
今回は農園見学ですから、ビジネスではありません。
入国審査後、空港のすぐ隣にあるホテルにチェックインし、夕食に出かけました。
車での移動でしたが、「白タク」です。事前に値段交渉をします。
移動中はたばこを吸わずにおいてくれたので助かりました。
40分ほど移動し、インドネシア料理を食べお土産物屋さんに寄り
ホテルへ帰還。さて明日は何時起き? なんと4時起床です。
お休みなさい。いつになったらコーヒーの話が出てくることでしょう?
その2
1月27日日曜日
今日はハードな日程です。
朝4時起床。ホテルに頼んでおいたモーニングコールは鳴りませんでした。(笑い)
自前で用意した目覚まし時計で目を覚まし、シャワーを浴びて(バスタブはありませんでした)
バイキング方式の朝食を食べ(コーヒーはまずい!!)
空港へ移動、ショッピングモールを見学しながら時間つぶし。
スターバックスがありました。どこにでもあります。
途中でお土産物を買う余裕も時間もないと教えられていたので、
早速物色開始!!
その後空港でチェックイン。
係の人に預ける荷物に黄色いビニールのひもを巻き付けてもらいます。
インドネシアはイスラム教の方達が多い国です。
空港、ホテルロビー、ホテルの部屋、公共施設などの天井には必ず
矢印が書かれています。
これはメッカの方向を指し示します。
礼拝の時間になると、これも至る所にある礼拝の小部屋(3畳くらい)で
お祈りを捧げます。
とても神聖な場所なので、写真を撮ることは控えました。
女性でスカーフをしている方を見かけます。
「女性は、夫だけに仕える者で、それ以外の男性の前では、男性を刺激するような格好は
宗教的に禁じられている」からだそうですが、このスカーフを被るか被らないかは
本人が決めるそうです。但し、一度被ったら止められません。
母親が被っている家庭はだいたい娘さんも被るそうです。
さて、インドネシアガルーダ航空で約2時間20分の旅で
スマトラ島の北部の都市、「メダン」に到着。
メダンの空港では、飛行機に預けておいた荷物がこのテーブルで出てきますが、
なんと持ち主が早く取らないと、下に落ちてしまいます。
ターンテーブルではなく一方通行です。(笑い)
ここで現地のシッパー(輸出業者)さんと合流。
地図を手に入れるため、ショッピングモールへ移動。
ここのモールには、SOGOが入っていました。
恐るべしジャパニーズ!!(笑い)
書店でスマトラ島の地図を購入。
ちょっと見て回ると、なんと日本の漫画本が積み上げられています。
もちろんインドネシア語です。
ドラえもんとコナンを買ってきました。
町ではバイクの横に座席を付けたタクシーがぶんぶん走っていました。
値段交渉をしてから乗り込むそうです。
その後昼食を取りましたが、インドネシアは結婚式の時に
友人達が写真のような花で作ったお祝いを飾るそうです。(今のはやり?)
お値段は4、000、000ルピア(4万円程度)と言っていました。
そしていよいよ現地に向かって出発です。
午後はメダンからレンタカーで4時間半の移動です。
アスファルトの道ではなく、コンクリートの道でした。
この道は至る所で穴ぼこだらけです。
100kmくらいの速度で突っ走ります。
暇さえあればクラクションを鳴らし、追い越しをかけます。
最初は手に汗を握りましたが、慣れてくると普通になってしまいました。
途中の道に、油ヤシが植えられていました。ゴムと並んでインドネシアの
特産品です。
パラパットに近づくにつれて、イスラムの土地からキリスト教の地に変わっていきます。
お墓に十字架の印が書かれています。
かつては、この宗教の違いにより、血が流されました。
キリスト教信者たちがインドネシアからの独立を目指しました。
土地の人に聞いた話では、スマトラ島の地震の時に政府がキリスト教信者の
多い土地の復興に力を入れたことで、両者が歩み寄りを始めたそうです。
夕刻にパラパットのホテルに着きました。
ホテルもそうですが、家の屋根の形が独特です。
聞くところでは、船の屋根をかたどっているそうです。
遠い昔、祖先は船で海を渡ってきた。という事を
表しているそうです。
夕食後にマンデリンの栽培等について二時間ほどレクチャーを
受けました。
いよいよ明日は、マンデリンとご対面です。
その3
2008年1月28日月曜日
いよいよ現地に出発です。
途中でガソリンスタンドに寄りましたが、
HONDA製のバイクがありました。
近くに小学校がありました。
カメラを向けると校庭中の子供達が集まってきました。
2時間後にリントン地区に入りました。
標高も上がり、1300mくらいです。
当店のマンデリンを生産している農家さんの一つを
訪問しました。
農園を見て驚いたのは、コーヒーの木の生育環境です。
樹齢30-40年の在来種が現役で生えています。
そして、地面が腐葉土で覆われ、踏み込むとふわふわします。
この木はどこの農家さんでもあるわけではなく、この地区でも
数えるくらいの数しかないそうです。
しかもどの農家さんがどういう木を持っているのかは、
秘中の秘だそうで、集荷業者も地元出身の人でないと知らないらしいです。
在来種ではなく、改良種もありますが、実の成りがいいのですが、すぐに
活力がなくなってしまうとのことでした。
木も背が高く、枝が柳のように地面まで垂れ下がっています。
幹も太くコーヒーの木とは思えません。
品種はティピカ種です。ティピカ種の葉は若い葉が茶色っぽいのが特徴です。
種子の粒が大きく、口入れるととっても甘かった!
インドネシアの農家は農園を持っていません。
コーヒー豆だけを作っているところもあれば、他のものも作っている
農家もあるようです。
コーヒーの品種も混在していて、おおざっぱにマンデリンとして
流通したいるそうです。
ですから、単一品種のいい豆だけを手に入れられるかが問題となるわけです。
インドネシアのコーヒー生産者の平均所有農地は、0.8ヘクタール
だそうです。一年間の平均収穫量は生豆で500kgくらいだそうです。
チェリーの状態で約2トン程度です。
家族経営です。
インドネシアのコーヒーは分業制です。
農家はチェリーを摘んで、実を剥き、種子を洗います。
それを集荷業者が各農家から集め、ある程度まで精製をし、
それを輸出業者に渡します。輸出業者が最終の乾燥、ハンドピック、スクリーン
などの行程を掛け、輸出します。
農家は摘んできたチェリーをこの機械を使って実を剥きます。
手動の機械で、おもしろいように実が剥けました。
これで終わり
その日の内に、アチェに移動です。
朝ホテルから2時間車に揺られ、農家さんを訪ね、
そして、また2時間かけてパラパットへ戻り、そして今度は
4時間半かけてアチェに戻りました。
8時間半の車移動は、ぐったりしましたが、そこは若いので(!!)
大丈夫です。
レストランで食事をして、ホテルへ移動しました。
そこでトラブル発生!!
移動に使っていたマイクロバスの荷物入れが開きません!!
鍵が壊れてしまったようです。
とりあえずチェックインだけして、待つこと30分。無事
荷物を取り出すことが出来ました。
その夜はぐっすり眠れました。
さて、翌日は輸出業者さんの作業所へ移動です。
外ではアフリカンベットと呼ばれる、棚の上でコーヒー豆が
干されています。
乾燥にムラが出ないように、時々かき混ぜます。
いくつかの行程を終えたあと、ハンドピックにかけられます。
40名以上の女性が豆をチェックし、駄目な豆をはじいていきます。
当店の豆の凄いところの一つに、このハンドピックの正確さがあります。
何回ハンドピックしたか、ではなく、時間が掛かってもいいから
丁寧に正確にハンドピックを行うというポリシーが貫かれています。
女性達は近所の主婦だそうです。明るく笑い声が絶えません。
その後はかりにかけ10kgずつ袋に入れられます。
この袋はヤシの葉で編んであります。
これも女性が畳針のような大きな針で、口を縫い付けていました。
そして3つずつ箱に入れ、出荷です。
これが3月末に当店に届きます。
これで今回の報告を終了します。
「いい木があり、しっかりと管理された農場で、それぞれの行程に人間の目が入り、
精製がしっかり行われている」この豆は、まさに宝物だと感じました。
現地の皆さん本当にありがとうございます。
大切に扱わせていただきます。感謝!!
そして皆さんお疲れ様でした!!
2006年 コスタリカコーヒー豆紀行
1日目
カッピングをしました。
ラ・ラグーナ農園に行きました。
チェリーはまず水槽に入れられます。
熟したチェリーは沈みます。
2日目
アキアレス農園に移動しました。
約1時間ちょっとの車の旅でしたが、
疲れがたまってきた私たちは、車酔いする者も・・・
でも、現地に着くと元気元気。
この農園はとても広く、917ヘクタールあります。
コスタリカ最大の広さです。
レインフォレストアライアンス(雨林協会)の認証を受けている農園です。
自然との共生を目的とした認証です。
運転手&ガイドでお世話になったJulioです。
日本語勉強中です。
日本のテレビ局のガイドをやったことがあるそうです。
NHKのHPには写真が載っているそうです。
参加者勢揃いです。
精製所です。
山頂付近の大きな木です。
農園の中にある小学校を訪問しました。
生徒が140名程度いるそうです。
農園は一つのコミュニティーを形成しています。
大勢の人が働いています。雇用を生み出しています。
日本から持参した、クレヨンとスケッチブックを差し上げました。
喜んでいただいたようです。
なんと書いてあるのかわかりません(笑い)
先生たちです。
コーヒーの木で焼いたチキンです。
これはうまかった!!
デザートのケーキです。
スポンジにコンデンスミルクが染みこませてあるような
強烈な甘さがありました。これ以上食べることができませんでした。
ドリップセットです。これには脱帽!! 味は???????!!!
2日目 その2
約1時間ちょっとの車の旅です。
日陰を作る役目と、空気中の窒素等を取り込み、
土壌にミネラルを取り入れる役目があるそうです。
収穫されたチェリーは集められます。
水槽に入れられます。
水路を流れるうちに泥等が落とされます。
機械で果肉が取られます。
果肉が取られたところです。
実のぬめりを取るマシンです。
これを導入することで、精製時間が大幅に短縮され
発酵が進まなくなったそうです。
ぬめりが取られた後です。
発酵槽に入れます。
100%天日乾燥か途中で乾燥機にかけるかはオーダー次第だそうです。
これを出荷前に剥くと生豆ができあがります。
農園オリジナルの麻袋です
農園主のManuelさん
3日目
アメリカのヒューストンに飛行機で移動しました。
2006年 ガテマラコーヒー豆紀行
1日目
グァテマラ報告です。
2月4日土曜日、午後のコンチネンタルでアメリカ
ヒューストン11時間かかって到着。
ここで、グァテマラ行きの飛行機出発まで
4時間あり、お昼となりました。
おいしい!といわれている、シーフードレストランに行き、
せっかくだからと、アリーゲーター(ワニ)を食べました。
味は鶏のささみに似ていました。
サンタカタリナ農園主のペドロさん自らお出迎えしてくれた
車でホテルへ移動です。
スイート並の客室ですが、一人一部屋なんです。もったいない。
無事グァテマラに着いたところまでで今日は終わりです。
2日目
朝食はホテルのバイキングです。
バナナの焼きがあったり、とてもおいしかった。
ペドロと奥様の車に分譲し、一路アンティグアへ。
1時間ほどで、古都アンティグアへ到着。
石畳のきれいな町です。
ペドロの農園に到着です。
左手にあるのが教会です。
ペドロご自慢のジープで農園見学に出発です。
標高1900m付近のブルボン種の
コーヒーチェーリーです
外の実を外したところです。
2つの種が出てきました。
コーヒーの花です。
雨が降ると花が咲きます。
木を曲げてあります。ベンディングと呼んでいました。
上に向かって新しい枝が育ちます。古い枝の再生です。
虫のトラップです。
害虫のブロッカ退治です。
豆の天日乾燥場です
今日はここまで
農園主のペドロさんです。
3日目
コーヒーの苗です
水やり風景です
なんとネーム入りです。感激!(単純?)
カッピングのセットです
午後にもう一件「SERTINSA」でカッピングをしました。
夕食はマクドナルドでした。うまかった!!
安心して野菜を食べることができるのは貴重です。
今日はこれで終わり。